AZABU-ZEKKO-KAMANASHI-MURA

罪と罰」読了後は、楽しみにしていた「志ん生の食卓」を。
巻頭には貴重な写真もたくさん載っていて、なんとも微笑ましい。
登場する家ごはんやお店ごはんの話を、志ん生師匠の気配を感じながら生々しく読み進められました。
写真の効果たるやという感じです。
全ての店に行ってみたいと思っているのですが、まずは一番気になった「天庄」さんへ。※今気づきました。誤って湯島の本館に行ってしまったのですが、掲載は広小路店です。

志ん生師匠と言えばお酒。
その変わった天丼の食べ方を試してみようと思いまして。
「日本酒を天丼で飲んで、天丼を半分くらい食べたら最後に少しだけ残しておいた酒をかけ回して食べる。」
なんじゃそりゃ。

土曜の昼前にお店に到着。
ランチ天丼(味噌汁・お新香付き)¥1,300と冷やのお銚子を1本注文。
最近は「常温で」と言わなければいけないみたいですね。
志ん生師匠はお新香ギライだったけれど、私は食べちゃうもんねーなんて思いながら、天丼をつまんでは酒を飲み、お新香をつまんでは酒を飲み。そして、とうとう天丼も半分になってしまった。
本によると「酒を少ぅしだけ残しておいて、残った天丼の上にひと回し。すぐに蓋をしてちょっとだけ蒸してから食べる。」とあります。
なので、グラスのお酒を5mmほど残し、作法通りに。恐る恐る口にすると……あれ?美味しい!口に入れたときは何でもないのに、飲み込むときにほのかにお酒の香りがする。
お酒の香りと言っても、酒饅頭くらいなもので、何とも上品でかなり美味しい。
よくこんな食べ方思いついたなぁ。
しかし、こちらの天婦羅は絶品なので、だからこそなのかもしれない。
今度、市販の天丼弁当でも試してみようっと。

さて、ここは湯島。上野は目と鼻の先。
落語「黄金餅」の道中づけ(落語の中で道筋や地名を一気に言い立てる型)、下谷山崎町は東上野4丁目あたり。
せっかくなので、その道中歩いてみようかなと思い立ちました。
私は「こちずぶらり」というアプリを愛用しているのですが、その中の「東都下谷地図(1862)」「番地入り東京市全図(1913)」で町名を確認しながら歩きます。
このアプリ、自分の現在地が古地図上にピンで示され、現代地図に切り替えもできるので位置を正確に把握できるのです。
では確認しながらレッツ葬列!

 

わぁわぁ言いながら下谷の山崎町を出ましてあれから上野の山下へ出て三枚橋から上野広小路に出まして
御成街道から五軒町へ出ましてそのころ堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっすぐに筋違御門から大通りに出まして
神田の須田町へ出まして新石町から鍛冶町へ出まして今川橋から本白銀町へ出まして
石町から室町へ出まして日本橋を渡りまして通り四丁目から中橋に出まして
南伝馬町から京橋を渡ってまっつぐに新橋を右に切れまして土橋から久保町へ出て
あたらし橋の通りをまっすぐに愛宕下へ出まして天徳寺を抜けまして
神谷町から飯倉六丁目へ出まして坂を上がって飯倉片町
そのごろおかめ団子という団子屋の前をまっすぐに麻布の永坂を下りまして
十番へ出まして大黒坂を上がって一本松から
麻布絶口釜無村の木蓮寺へ来た時にはずいぶんみんなくたびれた。
―――あたしもくたびれた。

 

歩いてみると、右に左に細かく細かく町名が挙げられていることに気付きます。
そして、実際に結構当時の地名が残っていたりするのですね。
今まで歩いていたけれど気が付かなかったということがたくさんあって、ワクワクの連続です。
山崎町から麻布絶口釜無村(現在残る絶江坂を仮定)までは歩行数20000歩を超えますが、是非、黄金餅を聞いてからチャレンジしてみてくださいね!

 

まずは山崎町から上野山下へ

 

五軒町の堀様は外神田五丁目の交差点なんですが、五の字は何か関係があるんでしょうか?そして筋違御門は今は渡れない?

 

今川橋は交差点名で残っています。

 

日本橋、京橋、新橋は今でもお馴染み。土橋は高速のジャンクションの名で残っています。日本橋から先の通り四丁目から中橋の辺りには高島屋と丸善。

 

地図上ではあたらし橋はわからなかったけれど、愛宕下に行くことを考えるとちょうどこの交差点右手かな?愛宕下は虎ノ門ヒルズのすぐ近く。

 

「あ!天徳寺!!」と思わず声を上げてしまったのがココ。なんだかすごくテンション上がっちゃいました。

 

飯倉から麻布永坂を下って十番に。

 

ちゃんと大黒坂と一本松が残っているのに感動。

 

そして釜無村に。確かにこの辺りは寺が多い。

 

―――私もくたびれた(笑)。